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「最初はブラックコーヒーすら注文できなかった」ハウスメイトに助けられた、カナダでの交換留学

 

カナダのトロント大学で1年の交換留学を経験した東京大学の土居さん。

「最初はブラックコーヒーすらまともに注文できませんでした(笑)」と留学のスタートをさわやかに振り返る。

新たな環境に身を投じ、自分の変化を楽しむ冒険心旺盛な好青年にスカイプでインタビューをしてきました。

 

 

インタビューさせて頂いた土居さん

インタビューさせて頂いた土居さん

 

初の海外経験は、マレーシアだった 


- 大学に入ったときから留学は考えてようですが、それまで海外経験はありましたか?

そうですね、留学は大学入学時から思ってましたね。きっかけは、高1の冬に初めて海外経験をしたことですね。マレーシアの山村に植林をいに行くっていう海外経験でした。
マレーシアなんで電気ガス水道もなくて、すごくカルチャーショックが大きくて。
でもそういう新しい世界に入っていくっていうことへの興味がそれで湧いたっていうのはありますね。
自分が知らない世界に入った時に、自分はどう変わるかを見てみたいって気持ちがそれから強くなって。

高校まで大阪で大学で東京に出てきたのも結構そういう点があって。
留学も、長期間海外に出て、日本人が周りにいない生活をしたら自分はどんなふうに変わるんだろうって言うことで、高校生の時から漠然と興味は持ってましたね。


- 高1でマレーシアに行くことになったきっかけを教えてください

僕高校の時バスケ部だったんですけど、1年生の冬の大会の途中で怪我をして、練習を2,3習慣参加できない時期があったんです。
そのときにたまたま植林キャンプの説明会が学校であって。その日練習がなくて、友達についていって見た説明ムービーに衝撃を受けて。
「現地の子供がすごく貧しそうなのにすごく楽しそうにしている姿」「『植林を通して何をどう変えていくのか。あなたには何ができますか。』という問いかけ」に反応して。
実際に見てみたい、っていう気持ちが強くなりました。


- 部活のメンバーから反対されませんでしたか?

周りには引き止められましたけど、僕の中では、それを逃したら自分の道が狭まる気がしていたので、地道に説得を繰り返しまして。
最終的には僕の意志が強いっていうのが伝わったみたいで納得してもらいました。

すごく迷惑をかけたな、とは感じています。


- 活動はどんなことをしていましたか?

マレーシアで植林するのは、兵庫のNGOが企画しているものです。
募金活動から始めて、そのお金で苗木を買って、持って行って、植えるっていう。
準備は3ヶ月くらい前からはじめて、募金活動も3回して。

どうやったら募金が集まるかってことをみんなで考えて、ただ街頭で募金を呼びかけるだけじゃなくて、その団体が今までどんなことをやってきたかを説明するボードを創ったりとか、街頭で呼びかける全員が活動内容を具体的に説明できるようにしましたね。


- マレーシアでは何か気づきはありましたか?

マレーシアには11日間行ったんです。
日本との違いはストレスの無さですかね。時間の制限が無いっていうか。
日本って子供でも「何時から習い事が」とかあるじゃないですか。
向こうの子にはなにもなくて。学校終わった後は何もやることがなくて、その辺のギターを弾いて、歌ってとか。

言葉はわからないんですけど、みんなで歌ったりしているうちに、会話っぽいことはできましたね。
その時はほとんど英語話せなかったし、現地の言葉も話せなかったんでほとんボディランゲージでしたけど、それでもコミュニケーションは取れるんだなって感じましたね。

NGOの活動で思ったことで言うと・・・
募金で苗木を買ってむこうで植えたんですけど、実際僕が植えられた木は5本くらいで。
「全然何もできないやん」っていう気持ちがすごく大きかったですね。「自分のインパクト弱っ!」っていう。
国際貢献したっていう満足感よりは、失礼ですけど、「こんな事しかできないのか」っていう気持ちのほうが強かったです。
でもそれを感じたからこそ、もっと影響力の大きいことを将来したいなって思うようになりましたね。
それが東大で国際開発系を専攻した理由になってますね。


 

主将になろうと思って入った部活での挫折。すぐさま留学に目標を転換。


- 大学に入ってから、部活にも入ったと聞きました。留学も興味あったと思いますが、部活に入るとそういうことできなくなると思うのですが・・・その辺りはどう考えてましたか?

留学はいつでもできると思っていたんですよね。
働いてお金貯めて大学院で行くこともできるなと。

そんな中で、大学の最初、いろんなサークルとか部活とか見る中で、バスケ部の先輩がすごくかっこよくて。
その人はすごいチームのことを考えていて。目指すとしたらこういう人物像なんだろうなって。
大学の4年間しかできない部活にえられるものはないなって思っていたので、部活に入って、その先輩のような主将になることを目指しましたね。


- でも途中でバスケ部で挫折があって、留学に目標を切り替えたんですよね。どうしてそんなにすぐ切り替えられたんですか?

もともと持っていた喘息が悪化してして走ることもできなくなってしまったんですね。プレーがどうしてもできなくなった時に、プレーヤーとして続けたいという思いが強かったので、きっぱりやめました。
4年間を捧げたいものを失った時に、うじうじしていても仕方ないので、どこかで行こうと思っていた留学を前倒して、自分の選択肢や視野を広げて固めるのはいいかなと思って。

 

留学先だったトロント大学スカボロキャンパス。奥のオレンジ色の建物が学生寮。

留学先だったトロント大学スカボロキャンパス。奥のオレンジ色の建物が学生寮。

- 準備は大変だったと思いますが、具体的にどう進めましたか?

留学する時に、東大の場合は、英語の成績と、学校の成績と、エッセイで決まって。
やっぱり英語の成績が大事だったので、最初の4月から7月に結果が出るまでは、ずっと英語の勉強をしてましたね。
特に最初は単語をずっとしてて、やっぱ留学の基準に達するには、海外の論文IELSテストの内容は論文なんですけど、原文科学とか自然科学の論文の文章が出てくるので、高校までの単語力だとしんどい面もあって。
2ヶ月くらいは単語をずっとやってましたね。

あとはライティングですかね。
書くのが苦手だったので、ライティングの本を買って、交換留学生の友達に見てもらったりとかしていました。
英語の成績で十分な成績が取れたあとは、7月中旬から9月中旬のエッセイをだすところまでは、結構エッセイばっかりを書く準備、分析をしてましたね。
でも前日まで書き続けましたけど。結構詰めて詰めて最後は2徹くらいして先輩とか兄ちゃんに見てもらったりして、出してやったんで。

そこまでやったんで面接は特には苦労しなかったんですけど、見なおして修正して修正して・・・ってやってたら2徹するかんじになってしまって。結構詰めてやりました。
やっぱ内容読まれるので、短期間ではありましたけど、夏はそのことだけ考えて、やってましたね。
だからあんまり遊ぶこともせずっていう感じでしたね。

 

- いろんな人に助けてもらいながら進めたんですね!

僕は寮に住んでいて、そこにはたくさん留学生がいたんですよね。
あとは、そのとき、同じクラスで英語めちゃめちゃできる仲のいいやつがいたので彼に手伝ってもらったりしていましたね。彼と二人で単語の出し合いとかしていました。


- 留学に行くと決めてから、交換留学のプログラムを選択したのはなんで?

交換留学があるのはもともと知っていて、部活の合間を縫って国際交流のイベントみたいなのには参加していたんですよね。
授業も英語の授業は積極的に取っていて、周りに話しかけて友達になっていったら、交換留学するっていう友達ができたんで、そういう友達を経由して交換留学っていうお得なプログラムがあるのを知りましたね。

大学院で海外大学に留学するのもあるなと思っていたんですけど、周りにそういう友達もいなくて、金銭的にも厳しいし、あんまり現実的には考えていなかったですね。


- 結果はいつ出たんですか?

結果出たのは12月のクリスマスくらいでしたね。
出発は8月でしたね。その後は、英語を話すような機会を作るようにはしていましたけど、あとは留年せずに卒業したいと思っていたので、結構単位を取ることを意識していて、後期とか20数コマとか取っていて、大学の単位をすませるのと、お金をためて旅行できるようにっていうのでバイトもしてましたね。

トロント市内の様子

トロント市内の様子



ブラックコーヒーもまともに頼めなかった留学スタート


- 最初はみんな英語に苦労すると聞きますが、土居さんはどうでしたか?

僕、最初コーヒーですら頼めなかったんですよ笑
カフェに行って、図書館の前にカフェがあるんですけど、僕はブラックコーヒーが欲しくて、「ブラックコーヒー」って言ったんですよ。
でもなんかそれが店員さんに伝わらなかったみたいで、そのとき、「ダブルダブル?」って聞き返されて、「ダブダブ?ダボダボ?」みたいな感じで。
僕の行っていたトロントって、人種が多様なので店員さんは中東とかインド系の方だったりするんですよね。
だからすごいくせのあるアクセントで「ダボダボ?」みたいなことを聞いてきたんです。

僕わからなかったらとりあえず「イエス!」ってずっと言ってて。だから何回僕がブラックコーヒーを頼んでも、そこで僕が「イエス!」っていってしまうので、毎回ものすごい甘いコーヒーが出てくるんですよ笑
なぜかずっと分からなくて。「ダブルダブル」っていうのが、実は「ダブルミルクダブルシュガー」ってことを意味しているってのがわからなかったんですよ。
でっかいポンプでシロップ2杯とミルク2杯で、カナディアンはそれを飲むのが普通らしくて。
でも僕はずっとそれがわからなくて。周りにこのこと聞いても全然伝わらなくて「お前何いってんの?」っていなされてたんですね。

でもある時そのことをハウスメイトに聞いてみたんですよ。
ハウスメイトは3人いて、2人がカナディアンで1人イギリス人で完全に英語ペラペラだったんで、最初ほんとに何を行ってるかわからないし、一緒にいてもできるだけヘラヘラしてただけだったんですけど、どうしても僕はブラックコーヒー飲みたかったので、勇気を出して聞いてみたら、それがすごいウケたみたいで。「2,3週間それをずっとしていた」っていうのが。

そしたらすごく丁寧に教えてくれて。それがきっかけでハウスメイトと結構話すようになって、その御蔭で、女の子2人男の子1人のアパートだったんですけど、ハウスメイトのうちの一人のイギリスからの留学生の女の子とすごく仲良くなって、おかげで英語を教えてもらえるようになりました。勉強とかも一緒にしてて、わからないとことかも聞いたりしてて。

そういうなんか出来ないっていうきっかけがあったんですけど、それを素直に聞けたっていうのから、アパートメント内での交流が始まって、英語を話す習慣見たいのがつき始めて。
「そんなしょうもないことで引っかかってたんや」っていうことに気づいた時に、もっと早く聞いといたらよかったなって言う風に思ったんで、そっからは割りとなんでもちょっとわからなかったら聞くようになったので、「どういう意味どういう意味どういう意味」って。
結構その辺躊躇せずに聞けるような経験が一個あると、変わってくるかなと思いましたね。


- 分からなかったらすぐに聞いてみる癖をつけたら、すごくいい方向に進んでいったんですね。学校では友達との関係はどうでしたか?

交換留学生で、国際開発のコースをとっているのが僕だけだったんですよね。
だから授業とか交換留学生いなくて、まわりみんな僕以外皆顔見知りみたいな。だから友達とか本当に少なくて。
授業の友達とは結局1人くらいしか仲良くならなくて。みんなずっと図書館にいるので。
一人仲良くなった子はいたんですけど、その子もめっちゃ勉強よくしてたので、お昼ごはん一緒に食べたり、夜図書館とか残って課題とかはしましたけど、それくらいでしたね。

Canada National Exibitionの様子

Canada National Exibitionの様子


- 授業はどんな感じでしたか?

トロント大の授業は結構東大に近くて、講義が多かったですね。
思ったよりもガンガンディスカッションする機会っていうのは多くはなかったですし、ディスカッションスキルっっていうのはあんまり上がってなくて、まあ座学が多かったです。

前記はとにかく課題のリーディングが多くて大変でした。
平日はほぼ図書館でリーディングか、課題のライティングのペーパーを書いていましたね。

でも週末は遊んでいましたね。金曜の7時過ぎくらいから遊んで、金曜から土曜にかけて遊びまくって、日曜からまた勉強みたいな感じですね。他の交換留学生に比べたら、僕はそれなりに遊んでいた気はしますね。

後期は、ダウンタウンに移って、週に2日しか授業取れなかったので、ずっとバスケしてましたね。
日本人のバスケのチームとかもあったので、週2回位そこでやって後はジムで普通に自由参加みたいな感じでチーム組んでやるところで友達作ってそいつらとずっとバスケするか筋トレするか後期は逆に日本人の友達をめっちゃ作りました。
ワーホリとかで来ている社会人とか含めて50人くらいできましたね。わざわざ海外出てくる人って若干変わってる日本人も多くて、三菱重工で飛行機作るエンジニアしてたけど、なんか30なるまでにワーホリ使うかって言ってカナダに来て、日本酒を作っている人とか。なんか面白かったですよ。変な人多くて。


- 向こうでの経験を経て、考え方とか変わったこととかありますか?

どこでも住めるなとは思って、なんかカナダに居る時日本に帰りたいってまあ日本の友達に会いたいとか家族に会いたいとは思ったんですけど、日本に帰りたいとは特に思わなくて、別に彼女来てくれんならそれでいいしみたいな。おれはこっから日本に帰らなくてアメリカにいくってなっても別になんか行きていけるだろうくらいの感覚があって、出張とかで数ヶ月単位でどっかに行かなきゃとかになっても自分は大丈夫だなっていうふうなことを、自分の声質じゃないですけど、そういうのは新しく分かったかなっていうのはありますね。

あんまり環境の変化みたいなのはいい意味でも鈍感でいられるなっていうを感じましたね。一年前の自分と比べても今はすごく変わっているなって思いますね。
 

- お金のこととか、苦労しませんでしたか?

交換留学だったので、学費は東大の学費で行けましたね。
生活費は、食費は結構高くて東京と同じくらいでした。家賃が大学の寮だと高くて、ずっと図書館にいたので大学のキャンパス内に住めるのは便利なんですけど、すごく高かったですね。

だから後期にダウンタウンに住んでいた時は、ずいぶん安くなりましたね。僕は奨学金を取っていて、生協がCSRで月15万円の留学奨学金を出していて、家賃と学費を奨学金でカバーして、他の食費交際費を自費で出していました。

交換留学中にバイトできなかったので、親に出してもらっていましたけど、それでも東京で生活していたときよりも安く住めていたので、これで留年していなかったら東京で4年間大学にいくよりも安かったんですけどね。
奨学金のおかげで生活費的には結構安かったです。



高校生へのメッセージ


- 最後に、高校生にメッセージをお願いします!

留学いくまでって、自分の全くわからない世界なんで、怖さがすごくあると思うんですよね。
でも自分がまだ知らないところに行けばいくほど、自分が全く想像もつかなかった一面であったり世界の一面であったりって言うのが見えてくると思うので、そこに好奇心をもって、決断する勇気にしてくれたらなっていうのを思っています。

見えないから怖いんですけど、なんとかなるんで。英語喋れなくても、コーヒー頼めなくても。死ぬことはないので。助けてくれる人もいるんで。
そこでのしんどさが経験になるくらいに思って挑戦してほしいですね。

金銭的なところでも、助けてくれる機関とか団体とかたくさん存在していると思うので、そういうのを調べなくして諦める理由を付けないっていうのもひとつ大事なことかなと思います。



 

~編集後記~


見えない世界に勇気を持って一歩を踏み出すと、そこで自分の新たな一面に気づける。そんな好奇心を起点に、挑戦をしている土居くんは素敵でした。
ブラックコーヒーが頼めない状態から、ルームメイトと打ち解けて、なんでも相談できる友達ができたというエピソードは、留学に興味があるけど不安な方たちの背中を押してくれるのではないでしょうか。

怖くても、それを逆にワクワクに変えて一歩踏み出す勇気にしてみる。僕もそんなふうに新たなチャレンジをたくさんしていきたいと思いました!
 

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海外留学を志したのは、教授の授業中の脱線から。スタンフォード大学留学中の西村さんにお話を伺いました。


 

東京大学の大学院を休学し、スタンフォード大学の航空宇宙工学科修士課程でロボティクスの研究をしている西村さんに、スカイプでインタビューをさせていただきました。
西村さんが航空宇宙工学に興味を持った高校時代から、大学進学後に留学を志すようになった経緯、その中での迷い・決意・変遷を伺いました。
迷いながらも自分の好奇心を大事に突き進んできた西村さんのお話は、「やりたいことがみつからない」という多くの学生の参考になるでしょう。

 

 

友人と天体観測(右端が西村さん)

友人と天体観測(右端が西村さん)

 

ロボットづくりがしたくて麻布に進学


- 西村さんは、東京都の麻布高校出身ですよね。どんな中高生時代を過ごしていましたか?

中学1年生から高校2年生まで、「物理部無線班」というちょっと変わった部活に所属していました。
ロボット作りとか電子工作を主にやっている部活で、そんなにものづくりが得意な方ではなかったんですけど、5年間それに打ち込んでいましたね。


- なにかきっかけはあったんですか?

実は、僕が中学受験で麻布を受験したのは、その部活に入るためだったんです(笑)
小学校の時に麻布の文化祭を見に行って「物理部無線班」に出会いました。そこで、自分でゲームを作ったり、ロボットを作ったりしている先輩を見て、小学生なりに「これかっこいいな」って思って。その部活に入るために、麻布を受けることにして、中学受験を頑張っていました。

実際に入ってみたら、トランプで負けたら筋トレをさせられるなど、予想以上にぶっ飛んだ部活でした。
インドアなんだけど、気質だけ体育会みたいな感じで。上下関係もすごく厳しくて。でもその雰囲気が好きで、高校2年生まではそれに打ち込んでいましたね。
 



小説がきっかけで航空宇宙に興味もち、進学先も東大に決めた
 

- 東大に進学されましたよね、受験時代はどんなことを考えていましたか?

結局、受験は東大と早稲田しか受けませんでしたね。受験勉強始めた3,4ヶ月は、全然モチベーションが上がらなくて。
そこで「これをしにいくんだ」っていう目的意識を持って大学に行こうってことで、
『航空宇宙工学科のある大学に進学して、研究室に入るんだ』
って決めて、頑張ってました。

 

- ロケットとか飛行機とかの研究をする航空宇宙工学科ですよね。随分ピンポイントですが、そんなに思い込めるきっかけがあったんですか?

そうですね、結構しょうもない理由なんですけど。僕、映画とか小説に触発されやすくて。
高1くらいの時に、横山秀夫という作家の「クライマーズ・ハイ」っていう御巣鷹山の飛行機事故をベースに書いた映画化もされた小説にハマってしまったんですよ。

ちょうど高校の自主選択の20~30ページの論文を書く授業があったので、「飛行機事故」をテーマに論文を書いたんですね。そのなかで、飛行機のことをいろいろ調べるうちに、それがすごく面白くなってしまって。
いろいろ調べていたら、東大に「落ちない飛行機を研究する」っていうラボがあって。ドンピシャですよね。
完全にそれだけで「航空宇宙工学科のある大学に進学しよう」って決めました。

 

- 教授の脱線が海外に目を向けさせた 東大に入ったときから、留学を考えていましたか?

学部3年の秋までは漠然と海外に興味があったというだけでしたね。
1年間の交換留学くらいだったらいいかな。という程度でした。

 

- 学部3年の秋に、本格的に留学を考えたきっかけがあったんですね。 

そうですね、大学2年生の秋くらいから念願の航空宇宙工学科に進んで本格的に航空宇宙の勉強を始めたんですけど、最初の1年は基礎の基礎ばっかりで正直あんまりおもしろくなくて。
「思っていた航空宇宙工学科とは違うな」って思ってましたね。最初は基礎的なことばかりで。
すごく重要なんですけど、僕はそこにときめかなかった。
勉強が進んで、応用的なことを学ぶようになっても、3年生の秋までは「この学科にきて、本当に勉強したいことってなんだろう」って思い悩んでましたね。
 

- どのようにその悩みを乗り越えたんですか?

そうやって悩んでいる中で、ある教授が講義の中で、脱線を始めたんです。今でもよく覚えています。
「最近の欧米の流行りは、レジリエンスエンジニアリングだ」って言ったんです。

レジリエンス工学っていうのは、
「一個一個のサブシステム、コンポーネントの性能を考えるのを考えるのも大事だけれども、それらが組み合わさってシステムになった時に、いかに全体を最適化して、複雑性を加味しつつ安全にシステムを扱えるか」
ということにフォーカスした分野です。

なんとなく自分が興味あったところに、初めて名前がついたっていう感覚がありましたね。
「結構新しい学問分野だから、新しい本がある」と聞いて。
その日にAmazonでその本を買って、読んでみて。すごく面白いと。

「これはどんな人が書いているんだろう」と調べたら、MITの航空宇宙の人がその本を書いていて、その時から、海外の航空宇宙のホームページとか見るようになったんです。
そうしたら、東大院でやってないような研究がわんさかあって。それが本格的に海外留学を考えるきっかけでしたね。
 

 

秋晴れの日のMITキャンパス

秋晴れの日のMITキャンパス


 

海外挑戦の決め手となったのは、先輩との出会い。


- 自分のやりたいことは海外にあるんじゃないか!って思ったんですね。留学を決心するまでは時間がかかりましたか?

留学する決心は結構早くつきました。その年の12月くらいに、米国大学院学生会というイベントで現役留学生の方と出会ったことが大きかったです。
その人たちの「自分のやっていることに本当に自信を持って、本当に打ち込んでいる感」に、「あ、こういうのいいな」って思ったんです。

そういう道があるなら、やってみようと。
そこにいたほうがとても大変だけれど、それに見合うような人生を送っているように見えたんですね。
大学側が仕掛けてくるような「大学のすすめ、交換留学」はそんなに響かなかったけど、その時は、自発的に自分で聞きに行こうと思って行ったので、すごく面白くて。

でも、「いつから留学すべきか。」はけっこう悩みました。大学院の途中で留学するのがいいのか、大学院を卒業してからのほうがいいのかとか。
その時は、大学院の途中で留学する場合の締切が迫っていたので、「受かってから迷えばいいかな」と思って、まず準備を進めましたね。

 

- TOEFLの勉強とか色々大変だったと思うんですが、どうでしたか?

まず、情報収集が大変でした。
いつまでに、何をしなければいけないのか。奨学金を調べたり、締め切りもシビアなので、8−10月くらいに民間奨学金の締め切りが集まっているんですけど、それに間に合うためには、7月の時点でTOEFLの点数が100点超えていないといけないとか、結構スケジュール管理が大変でしたね。

しかもその時、具体的にどの研究室に興味があるっていうことが明確でなかったので、まずどんな研究室がどんな大学にあって、どんな研究をやっていて、どこが自分と合いそうかって全部調べて、興味のある先生にメールを送るという。メールして帰ってこない人が多いですけど、2人の先生から返ってきて。

アメリカに行く機会があったので、スタンフォードとMITのその2名の先生に直接研究室訪問しましたね。

 

- すごい行動力ですね!アメリカに行く機会はどうやって手に入れたんですか?

大学3年生の時から、小学生に科学の授業をしに行くという授業を受けていて。
UC Berkley(以下UCB)にも似たような事を100人規模でやっている学生団体があって,そこの人たちと交流する機会があったんです。偶然ですけどね笑
お互いどんな授業をしていて、どんんなプロジェクト展開をしているのかを共有するような会でした。ついでにボストンも寄って帰りました。

 

- 奨学金などの手続きなども大変そうですよね?

ハードスケジュールではあったんですけど、そんなにきついとは思いませんでしたね。
助けてくれる人がたくさんいたので。
学科の性質上、海外に目を向けている人がすごく多かったです。
僕の当時の研究室の同級生も一緒に出願もしてましたし、他の研究室の人もやってましたね。
そういう他の人とも連携を採って、どこの奨学金に出したとか、SOP(Statement of Purpose)とかもレビューしあったりとか、学生同士でDropBox作ってやってましたね。
僕の場合は身近に準備している人がいたので、すごく心の支えになりましたし、実務的にも色々助かりましたね。
良い環境にいました。
あとは、さっきも話した米国大学院学生会に何回か行って、お金のことや心構えについてや、どんな準備をすればいいかっていうのを聞きました。
準備でスケジュール立てたり、奨学金の申請書を書いたりするのが嫌いじゃなかったので。
淡々とやるだけだったのであまり深く考えずに、まあもし落ちたとしても何かの勉強にはなるかな、と思って気楽にやってました。
きつかったことを一つあげるとすれば、今もらっている奨学金の申請書を800枚提出する準備はきつかったですかね。
8つの奨学金に応募したんですけど、いろいろあって1つあたり100枚くらいになってしまって。
100円ローソンのコピー機を1時間位陣取って。あの時は心折が折れそうになりましたね。
 

- 結果、合格されましたよね。留学に行くタイミングなど迷っていたと思うのですが、合格してからは悩みませんでしたか?

受かって合格通知書もらったらそれはもう迷わないですよね笑
「これは行くしか無いだろう」ってなりました。
でも奨学金がどこからももらえていなかったら、迷っていたと思います。学費がばかにならないので。

 

寮の部屋

寮の部屋

 

海外に来てから、やりたいことはどんどん変わってきている。

 

- 留学に来てまずはじめに感じた日本との違いはなんですか?

授業の重みが日本と全然違うので、こっちで大事なのは「いかにうまく手をぬくか」っていうことですね。
教科書も、800ページあって、最初は1字1句見逃さ無いという感じだけど、だんだんどこが大事で、どこが大事じゃないかがわかってくる。
それができないと、受けている授業についていくことができないです。


- 留学当初、英語は苦労しましたか?

めっちゃ苦労しましたね。今でもそんなに慣れているわけではないんんですけど。
単語が難しくて・・・。ボキャブラリーを増やしておくことは結構大事なことですね。
人の話を聞いててわからない時は、自分の知らない人の話で盛り上がっているか、単語が難しくてわからないかの二つかなと。

事前に、ある程度単語力はつけておいてたほうが良いと思います。
特に、学問の分野で結構必要になりますね。自分の専門外の文書を呼んだりすると、英語のweb記事とか。専門外の文系の人が書いた記事とか。
辞書を引かないと何を言っているかわからない時があります。
日本人もオフィシャルな文章を書くときとか、難しい言葉を使って書くじゃないですか。

話す時って、単語の数はそんなにいらないのでなんとかなりますけど、
オフィシャルの場で、何回も同じ単語を繰り返すとばかみたいなので、発信する側も受ける側も、ボキャブラリがあったほうが良いなってこっちに来て改めて思いますね。


- 英語の克服で取り組んでいることはありますか?

英語に関して言えば、大学の英語メンター制度っていうのにお世話になっています。
大学がアメリカ人の学生を雇って、留学生とマッチングして、1体1で週に1時間、話す機会を提供しているんです。
僕は、せっかくアメリカにいるからには「朝起きて、授業にいって、宿題やって、寝て。」の繰り返しだけで終わるのはもったいない。ということで、

1時間のセッションは授業に全然関係ない「youtubeに上がっているアメリカのコメディアンの政治風刺の動画」とか、「アメリカで昔から普通に生活している人には普通に分かるけれど、外国人には分からないような、ちょっとコンテキスト(文脈)が高いコンテンツ」を勉強させてもらっています。自分でこういうのをやりたいですっていうのをだしてやっていますね。
 

- 来る前と自分自身の中で変化はありますか?

自分の興味のあった、「レジリエンスエンジニアリング」について足を突っ込んでみてわかったんですけど、結構実学的なんですよね。
といのは、飛行機を現場で設計したりという経験のある人にとっては、バイブルになりうる学問だけど、まだ仕事をしたこともない人が机上の空論でやっても成果が出るものなのかは疑問でした。

そこで僕は、研究は実学よりも基礎に根ざした機械学習とかのコンピュータサイエンス系の研究をしようと切り替えて、そういう研究室に入ることにしたんです。

MIT総合図書館

MIT総合図書館


- 実際に深く学んでみて分かった気づきだったんですね。それからはどんなことをしていますか?

今年の春から研究で単位をもらえるプロジェクトに入っています。
興味ある研究室の教授と交渉して入りました。
僕と同じタイミングでボストン大学から移ってきた教授がいて、その先生にコンタクトして交渉しました。

あとは、今は飛行機をつくっている会社でインターンをしています。
朝8時に出勤して、夜の7時位に帰ってくる生活ですね。
スタンフォードから一緒に来ているルームメイトと一緒です。
アメリカ人は結構いるんですけど、外国人には門戸が狭くて、僕も今の仕事はアメリカ人の同じ学科の友達で、学部生時代にその企業でインターンをしていた学生のコネを使って入り込みました。

先学期終わって、6月13日くらいからすぐにこっちに来て、9月の頭までいますね。
13週間。結構あっという間です。

 

- 今後どんな道に進みますか?

僕は航空宇宙の畑で着ているけど、もう少し極めたいのは、コンピュータサイエンスの方で、特にプランニングとかマシーンラーニングとか、いわゆるAIという分野に興味があって、今はその専門知識がついたと言えるレベルではないので、博士課程でその分野でエキスパートになってからその分野に入るか。というかんじですね。気持ちとしては、PhDに固まりつつありますね。

 

 

 

高校生にメッセージ

 

- 最後に、日本の高校生にメッセージをいただけますか。

難しいですね・・・。
「夢を持て」みたいなことを言われるじゃないですか。色んな人から。
でも具体的にどうすれば夢を持てるかなんてだれも教えてくれない。難しい問題ですよね。

既に夢を持っている人にとってはアタリマエでカッコいいことだけど、高校生の段階で、一生続くような夢をモテる人ってそんなにいないと思うんですよね。
僕は、夢を持つというよりは、ウソでもいいから自分で目標をとりあえず無理矢理でも決めて、訳もわからなくても、とりあえずやってみるっていうのがいいと思っています。

夢というよりも目標を決めて、まずはそれに向かってやってみる。多少苦しくても努力してみる。
そうしているうちに、偶然人との出会いとかがあって、偶然自分のやりたいことがちょっと見えてくる。
大体の人がそういう生き方をしているんじゃないかと思うんです。

受験もそうじゃないですか。「でなんでこんなこと…青チャート何周もやんなきゃ」って思いながらも、今やってることのさきにあることをいかにイメージできるかが大事かなと思います。
だから色んな人に会って、話を聞いて、自分には関係ないやって思わないことですね。
僕も大学1年生のときに留学するなんて夢にも思ってなかったので笑

とりあえず英語勉強しておいてよかったなって感じですね笑 始める前から全部わかってる人なんていないと思うので、小さなきっかけを大事に目標を立てて、「とりあえずここに行くつもりで」みたいな。
後からいくらでも変えられるので。

受験勉強大変だと思うんですけど、少しでもその先をイメージして、頑張ってほしいなって思います。僕も、頑張ります。


 

~編集後記~
 

麻布高校から東京大学航空宇宙学科を経て、スタンフォード大学へ留学し、アメリカの飛行機会社でインターンをしているという西村さん。
夢に向かって一直線に見える西村さんにも、思い描いていたものと違って悩んだ時期がたくさんありながらも、小さなきっかけを創り出して自分の好奇心でワクワクを膨らませて、目標にして走っていく。
そんな突き進んでいる西村さんの姿が目に浮かぶようでとても素敵でした。

現在も幾つか目の前に選択肢があって、今後を考え中のようでしたが、それでも自分の好奇心に素直に、目標を決めて、突き進んでいくのでしょう。
インターン中の合間に時間を取っていただいた西村さん、素敵なお話を聞けて本当にありがとうございました!

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「10年後の未来から逆算せよ」医師として国内外で活躍する津川さんが語る"人生の戦略"の立て方

 

元々は帰国子女だったという津川さん。
なぜハーバード大学で医療政策学者・医師となったのでしょうか・・・?

 

 


 

帰国子女、爆竹ヤンキー中学、桐蔭学園、医学部


- 今日はキャリアという感じというより、高校生の時の自分にお話いただくイメージでお願いします!まずは高校生からの経歴を教えていただいていいですか?

もともとは帰国子女なんです。小学校の時4年間は父親の仕事の関係でイギリスにいて、小学校6年生の3学期に帰ってきました。


- ではそこから日本の学校に。

向こうで一応日本の塾とかに通っていたので、帰ってきて中学受験をしました。でも全滅でした(笑)。
イギリスには日本の塾があって、日本の中学受験をするように準備をしてくれていて、こことここなら大丈夫だろうと言われて3校くらい受けたけど、全滅。
それで地元の中学に行ったのですが、地元の中学はなかなか荒れている中学でした。

皆さんって今お幾つですか?
 

- 23です。

ぼんたんってわかりますか?太いやつ。ああいうのを普通に履いている中学だった。変形学ランみたいな奴。
まあ昔のヤンキーですよ。廊下を歩くと花火が飛び交う。これホントの話ですよ、映画とかの話じゃなくて。

爆竹がバン!バン!バン!って学校の中で時限爆弾みたいにしてあるんです。
屋上の階段にそれをおいて、タバコを置いておく。いずれタバコが小さくなって火がつく。そういう学校でした。

でも途中で桐蔭学園は帰国子女向けの編入枠があるということで、それを受けたら入れたのでそれから桐蔭学園に転校しました。

その後は、医学部を目指したのは二つの理由からです。
1つは少なくとも身の回りの人が倒れた時に助けられるようになりたいと思ったこと。
そしてもう一つは手に職を付けたいと思ったことです。


- 高校生くらいの時にそんなこと考えられていたんですか?

そうですね。
これよく高校生に話すんですけど、常に「10年後、20年後に何やりたいか」ということを考えて、そこから遡って何をやるかを決めています。
まあ20年ってちょっと長いので10年くらいでもいいですよ。16~17くらいの時には10年後に何ができるようになっていたいかを考えていました。

手に職をつけるっていうのはとりあえず必要条件として考えていました。
あとはまあ医者じゃなくても良かったですけど、お金を生み出す以外でもう一つ、困った人を助けられる専門的なスキルセットが欲しいなと思ったんです。弁護士でもよかったんですけどね。
そうやって東北大学の医学部に行きました。

みなさんは東大なんですか?


- 東大です。

僕は高校の時は東大・京大は無理だろうなと思って、阪大の医学部に行こうと思ってたんです。見学にも行ってました。その時、東北大は見学にも行ってませんでした。

でもある朝起きて「やっぱ阪大受からない気がするな」と思った。高3の時に朝起きてふとそう思いました。
それで東北大学に決めました。
まあもちろんその前にいろいろな条件を考えて悩んでるんですが、ある時すっと自分の中で落ちてくるときがあります。喉に突っかかってたものがすっと落ちるような。

あと、もともとの自分のやりたいことは「医師としてのスキルセットを身につけること」だったので、あんまり意味が無い中で浪人のリスクを取るべきではないなというのも思いました。
そのあとの大学ではサッカーばっかりしてましたね。

 


「二度と行くもんか」と思ったアメリカ


- サッカーは部活動ですか?

医学部サッカー部でした。だいたい部活は15時くらいからはじまるのかな。
だからお昼くらいに起きて、16時くらいに行って。その後ご飯食べて、仲いい友達の家に行って。
朝方まで話して。朝方に車乗って朝日見に行き、家で寝るみたいなグダグダな生活をしてましたね。

あ、でも大学の時も実習みたいなのを利用して二ヶ月くらい留学しましたね。


- ということは、小学校の時と、大学の時で海外経験がおありなんですね。

そうですね。あ、高校二年の時にも一回アメリカのサマースクールに行きました。
だから小学校4年間、高校で6週間サマースクール、大学の時の二ヶ月の実習というのがそれまでの留学経験ですね。
まあ、毎回来るたびに二度と来るかって思うんですけどね。


- え、そうなんですか?笑

アメリカに来て楽しかったなって人とかって今まで会ってますか?
多分ですけど、英語が相当できるという場合でなければアイデンティティの崩壊を繰り返すんじゃないかなと思います。

小学校の時は、クラスの中で1番早く九九を覚えられたとかしてたのに、アメリカに行った途端に知恵遅れみたいな状態になりました。
単純に言葉ができないからです。
高校の時もそう。日本の高校だったら勉強できる側でしたけど、アメリカのサマースクールに来ている人の中だったら自分は遥かにできない。これも言葉ができないから。

日本でうまく行ってる人は海外に来ると、毎回無力感みたいなのを感じると思います。
それを感じないと努力やチャレンジするための原動力が生まれないので、僕は自分であえてそういったところに行きます。
厳しい環境、新しい環境に行くことで、まだ出来てないこといっぱいあるんだなって認識するんです。

アメリカではよく『comfort zoneを出ろ』と言われます。
どこまで出来るのかやってみたいなみたいな、自分勝手な感じですけどスポーツ選手と似てるのかもしれない。
どこまでやれるのかやってみたいんです。

東北大学って周りに関連病院がいっぱいあるんですよ。でもそこで医師になると、先輩がたくさんいるので甘やかされて好待遇を受けるんです。
なのでその時も冷水を浴びるために東京の聖路加病院に行きました。どこでもよかったんですけど、もうちょっとゴリゴリしたところでやりたかったんですね。
5年間死ぬほど働きました。週に三回か四回当直して。
 

- 当直ってどういうものですか?

朝家を出て、まず20時くらいまで働くんですね。
そこから夜勤です。それで次の日朝が来て、朝からもう一日働く。要は36時間くらい連続勤務なんですよ笑。
それを週四回くらいやっていました。

もうわけわかんないですよ。月曜日に朝家でたら帰ってくるのは火曜の夜。で水曜日に朝家出たら帰ってくるのは木曜の夜。

で、あとICUとかは6週間泊まり込み。6週間病院泊まりこんで、日曜日とかに二時間くらい家に帰って洗濯する
まあたぶんスタートアップとかのみなさんも相当忙しいと思うんですけど、病院は病院でわけわかんない生活でしたね。

 


3年やったら次を考え始める


- 医者のみなさんは、そんなに忙しいんですか?

そうですね。当時の聖路加病院はそういう感じでした。
今は若干労働者の環境を考えた感じになってるみたいです(笑)。
それはそれで良い経験だったと思うんですけどね。

皆さん今何年目なんですか?
 

- 3年目くらいです

スタートアップだとまた違うかもしれないけど、だいたい3〜4年いると、誰がどこにいるかわかるし、どうやって組織を動かせばいいのかもわかってくるんです。
もちろん医学的なこともわかってきて、ラーニングカーブがフラットになってきます。

なので3年目くらいから次は何しようか考えてました。
結局留学の準備をして、留学したのは5年目かな。
ハーバードに来て公衆衛生大学院の修士をリサーチをやりながらハーフタイムで半々でやりながら二年で取りました。

でも、海外の有名大学で修士号とった日本人っていっぱいいるんですよね。その人達が日本で何やってるのかなーと思ってみてみたら、意外と埋もれてる場合もあるんです。
もちろんHBS(ハーバードビジネススクール)とかに行って結果をどーんって出してる人もいると思うんですけども。
でもそういう人たちってハーバードで得たのはスタートダッシュの力だけで、あとは自分たちの力で成功してると思いますし、逆にハーバードの修士号を持ってて埋もれてる人もいっぱいいます。
なんでかっていうと、1〜2年で学べることなんて限られていて、だいたい表面的な知識で終わっちゃうからなんです。

僕の領域(医療政策)で、アメリカの博士号持ってる人なんて一人もいなかったので、じゃあやってみようと思いました。
はじめは修士の2年で帰る予定だったので、ちょっと博士トライしてみようかなーって妻に話をしたら「えっ」って言われたました(笑)。
まあ受かる確率は極めて低いから、受かってから考えようと説得しました。でも、いざ受かるともったいないから行こうみたいな感じになってしまって(笑)。

結局博士号を取るのには4年かかりましたが、これは非常に良かったです。
同級生が11人いるんですけど、日本人はもちろん一人だし、ファカルティにも日本人は一人だけだした。
そう行った中で地に足をつけて、アメリカ人もしくは海外の人達と一緒にやっていくってことができたのでよかったです。


- 修士を取る時だと日本人もたくさんいるんでしょうか?

修士だとやっぱり日本人いっぱいいます。同じ学年でもビジネススクールだと多分数人〜10人くらいいると思います。どの修士でも10人くらいいるんじゃないかな。
そうすると日本人の助け合いって感じになります。


- 確かに、それと比べると博士号を取る時にかかる負荷は全然違いますよね。

そうですね。必ずしも日本人で集まることが悪いとは思わないですけど、それで得られるものは種類が違うと思います。


- そのあとはどのように活動されているのですか?

博士号の取得がこの間終わって、それからはリサーチャーをやっています。
日本の社会医療費とかの関係でやらなきゃいけないこともいっぱいあるので、それを日本に戻ってやるかなーという感じで考えています。


- アメリカには残らないんでしょうか?

いまはそれでリサーチャーなんですけど、本当にアメリカに残ろうと思ったらassistant professor、associate professorっていうtenure track(※)のポジションがいるんです。
もしアメリカに残るとしたら、それに秋にアプライしないといけません。もししないんだったら日本に帰ります。

(※)tenure track:研究者・学者の終身雇用制度のようなもの。これの取得ができると、一生安泰的な。




若い頃の海外経験


- ちょこちょこ海外でのご経験あったと思うんですけど。そこをもう少し詳しくどこに行かれたのかとかお聞きしてもいいですか?

高2の時はPhillips Exeter Academyっていう高校のサマースクールに参加しました。そこはアメリカでも5本の指に入るような高校で、ハーバードに入る学生の数も全米一です(Facebook創業者のマークザッカーバーグの出身校)。桐蔭学園からプログラムみたいなのがあって、他にも数人行ってましたね。


- サマースクールって何かわからないんですけど、どういうものですか?

他の高校に留学するという感じです。外国人のためのものではなくて、アメリカ人のためのものですけどね。


- なんでアメリカ人が国内で留学する必要があるんでしょうか?

アメリカの大学って、入る時に多面性を求められるんですね。
勉強、スポーツ、音楽、ボランティア、途上国に行ってこんなことやりました、とか。そこでアピールするために、アメリカの高校生は夏休みに何かやらないといけないんです。

そういう時にサマースクールに行って、なにか新たなスキルセットや経験を身につける。そうするといい大学に入りやすいからだと思います。
ひょっとするとPhillips Exeter Academyに入れなかった子たちとかが来ているのかもしれないですね。そこでより良い教育を受けるために。


- なるほど。サマースクールでは何をやるんですか?

普通に授業です。英語とかの。でも英語と言っても普通の英語じゃないですよ。English as a second languageじゃないので、アメリカの英語の授業です。
僕はちなみにジャズばっかりやってました(笑)。4個授業取れるんですけど、そのうち2個ジャズの授業とってましたね。
だって英語の授業でポエムかけとか言われてもついていけないですよ。授業でなんでもいいからポエム書いてこいって言われたんですけど、書けなくないですか?



- そうですね(笑)

そういうのはよくわからないなと思ってジャズばっかりやってました。もともとドラムやってたのもあって、ジャズも勉強になりました。
でもそうやって自分の興味あることをきっかけに何かを学んだほうが良いと思いますね。
そうじゃないと勉強する気起きないので。


- 大学の時の留学についても教えていただけますか?

大学の時はたまたま教授のうちの一人が、Johns Hopkins Universityに知り合いがいるって言ってたんです。そこで、「じゃあ僕行きます!」って志願しました。


- Johns Hopkins Universityに留学したのはどういう形だったんですか?

研究の実習で、二ヶ月半くらい行きました。Johns Hopkins Universityも基本的にアメリカで1番か2番にいい学校です。
振り返ってみると、やっぱり良いところを経験できてよかったです。アメリカといっても広いので、日本で東大とか行ってる人がアメリカの中西部の大学とか言ってもそんなに刺激にならないと思います。
行くんだったらやっぱりトップのところに狙って行った方がいいと思います。


- そんなに良い大学、どうして受け入れてもらえたのですか?

Johns Hopkins Universityに行く時にはPhillips Exeter Academyの経験を引き合いにアピールしました。
そのあとハーバードの修士に行く時にはJohns Hopkins Universityでの経験を引き合いにアピールしました。
結局日本で東大に行ってますって言っても、アメリカの人には伝わりにくいんです。


- 聞けば聞くほどハードル高そうですね・・・
でも、Johns Hopkins University入学するのはめちゃくちゃ難しいですけど、Johns Hopkins Universityで実習するのはそこまで難しいことじゃないんですよ。
Phillips Exeter Academyに入るのは難しいですけど、サマースクールに行くのはそんなに難しくないんです。




25年後、日本の人口は4000万人減る


- 日本の高校生も、もっと留学してほしいと思うのですが、どうですか?

まず先生がわかってないと思います。
高校・予備校の先生は英語の教え方、受験英語の授業の仕方はわかっているかもしれないけど、グローバリゼーションの時代や日本の将来を正確に捉えられてない人が多いと思います。

10年前にはiPhoneもなかったんですよ。こんなに目まぐるしく変化する時代ですから、僕らは親とか学校の先生の話を聞くよりも自分の頭で考えないといけないと思います。親がやってたことをそのままやってもまずうまくいかないですよね。


- なるほど。津川さんは日本をどのように見ていらっしゃるのですか?

今というより、10年後20年後どうなってるのかが大事です。
25年後くらいに日本の人口って8000万人になるんですよ。その時に労働可能人口の割合は4割くらいになっている。その時の経済とか税収とか、日本がどんな国になっているかって考えたら、今と同じ形じゃないことは明らかですよね。

実は、戦後の日本は今日まででほとんど上昇するところしか見ていないんです。
でも25年なんてあっという間ですよ。みなさんが50歳になって家族がいて子供がいてって言う年齢の時にはそういう時代になっています。


- 危機的状況ですね。

国全体の視点から見たら、日本は危機的状況です。大きく方向転換を迫られるでしょう。
個人の視点から見たら海外で生き残るための手段として英語などが必要になってくると思います。「英語ができたら便利」とかそういう話じゃなくて、ひょっとしたら生き残るために必要なんじゃないかというレベルです。

英語はあくまでツールですが、アメリカやヨーロッパやシンガポールに移住するって考えた時に英語ができないとハードルが一個増えてしまいますよね。そういった意味で英語が必要かなと思います。


- 日本で普通に教育を受けていたら10年後の将来とか、考えたりなかなかしないですよね。

日本の教育のレールに乗っかっていると、2つの理由で危ういと思います。
みなさんみたいに成功された人は百歩譲ってまだいいですよ。それでも危ないと思いますけど。
日本は評価軸が偏差値の一個しかないから、大変です。

でも、本当は評価軸は無数にあるんですよね。
アメリカではみんなと違うことが許されます。数学ができなかったら他のことができればいい。そういうことで彼らは自分のアイデンティティを保っているんです。

海外に行くとかすると良いことは、失敗経験を積めることです。
小さい失敗経験をたくさん積むので、レジリアンスがつくんですよ。日本人ってレジリアンスを身につける機会があんまりないですよね。


- 津川さんはこれまでどのような戦略で生きてらっしゃるんですか?

僕は、もし自分がものすごい天才だったら自分のやりたいことをどこでも好きなとこで勝負していくと思います。
でも自分より優秀な人が大体どこにでもいるんですよ。
じゃあ自分より優秀な人達がいるこの状況でどうやって生き残っていくかって考えたら差別化しないといけないと考えています。
企業と同じで個人も差別化していかないといけないんですよ。それだったら少し大学のレベルを下げても医学部行くとか。

医者になった時は、自分より優秀な人がすごい研究・論文を出していました。
日本にいたらそういった人達とはまず戦えないけど、日本を出てハーバードを出たら戦えます。
いかにみんなと違うことをやるか、それに意味があるんです。
やりたいことがあっても、どこまで競争が激しいかとかとのバランスを取りながら、みんなと違うことをして生きてます。





comfortableゾーンを抜ける
 


- もうちょっと詳しく教えていただけますか?

努力できて、100人の集団の中でトップになれる人はその中で頑張ればいいと思います。
でも僕はトップ3分の1くらいに収まる人間なので、どこの集団に属しているかが全てだと思うんですよね。

誰の言葉かな。ジェームズ・キャメロンか誰かの言葉で、
『チャレンジをして失敗した時のほうが、チャレンジをしなくて落ち着いたところよりも高いところに到達できる。』
というような言葉があります。
そういう考え方で、じゃあハーバードに行こうとなったんです。

僕は東大の医学部に入る能力はなかったので、東大の理三の人よりもなにか違うことをやろうと思ったんです。
その当時ハーバードに行こうと思ってる人や、ましてやハーバードの博士号まで取ろうと思っている人なんていなかったので良かったですね。


- そういった考えはどこから来るのでしょうか?

だいたい4年位するとやっていることに慣れてcomfortableになってくるんですが、そういう時に長く時間をとって「次に何やろうか」って考えるようにしています。
そういう時はまず10年後、20年後どういう時代になっているか、と考えます。10年後のこと考える時には、”世界”が10年後どうなっているか考えなければいけないんです。
このままの世界で自分だけ10年経つわけではないので、10年後の世界の中で自分がどうやって存在しているかとかを考えなければいけません。

これは非常に時間が掛かる作業なので、まる1日か2日画用紙とかの前でバーっと考える必要があります。


- なかなかそんなにじっくりと10年後のこととか考えている人っていないですよね。

そうですね、1年か2年先のことしか考えてない人が多いと思います。
でも20年先のこと考えたら困るわけじゃないですか。
日本の語学英語じゃ足りないです。ボキャブラリーは圧倒的に必要ですが、アウトプットできる能力も必要です。

日本人はスピーキングとかコミュニケーション能力が非常に低いですよね。流暢な英語を話す必要はないので、キャッチボールができることが必要。
単語単語しっかり発音して伝えて、相手が自分の言っていることをわかっているかどうか確認する。
ゆっくり話して言葉をコミュニケートするということが大事。

そういうことを日本の教育でも教えることが大事だと思います。


- 東大に入っても喋れない人の方が圧倒的に多いですよね。

日本の大学に行かなくてもいいんですよ。
というかむしろ、うーん、僕はもう海外の大学に行ったほうがよっぽど安泰だと思います。
中国とか韓国では、成功してる人はだいたい子供を海外に送り込みます。将来のことを考えたらそれが一番の安全な道だからですよ。


- 最近は海外に行く学生も増えている気もします。

増えてますよね。昔はインターネットとかなかったから情報を探すのも大変でした。
今はネットとかで殆どわかるし、予備校とかもあるから良いですよね。

あとは本格的な留学に限らず、短期の留学でもいいからバンバン繰り返すと、人間としてのレジリアンスがつくので良いと思います。
「私の習ってきた英語は一切通用しない」みたいな経験とか、ショッキングですけど、その経験そのものがいい経験になります。
日本って小さな失敗を積み重ねづらい社会なので、海外にボーンって言って失敗したほうが良いですね。

あとはやっぱり自分のストーリーが無いと生きてくのが今後つらいですよね。
良い大学出て良い会社入りましたってだけの人に魅力を感じますかね?
それよりはアメリカ行って得体のしれないほど苦労してここにいます、って人のほうがよっぽど人間としての魅力があると思います。
そういう人のほうがレジリアンスとかGRIDとか、IQで測れない部分が高いだろうだろうなと思います。

結局大事になるのは根性とかですよね。
アメフト部とかが良い企業に入るっていうのは、会社が根性とかタフさとかそういうところ見ているからだと思います。
自分で日本の教育システムの限界みたいなのを考えないといけませんね。





自分の人生をデザインするという感覚


- 津川さんは高校の時からそういうことを考えてましたか?

いや、高校の時はもっと日本のしくみに毒されていて視野が狭かったです。
この中でどうやって生きていこうか、と考えていました。振り返ってみてこう言えるだけですね(笑)。

でも、今生きている子達は「自分がどういう人になるか」ということをデザインしないといけないと思います。
どういうスキルセットが必要で、どういう要素が必要でって考えないといけない。
そこは多分日本の教育の中ではできないと思います。


- 自分をデザインするって言う感覚高校生の時には全然なかったです。

これもまたブランディングとか言うと薄っぺらいんですけど、芯のあるちゃんとしたスキルが必要です。
日本はいかに魅力の無い人を大量生産しているか。履歴書だけ見たら、日本のエリートは魅力ないですよ。

アメリカ人がアフリカとかに行ってボランティアしたりするのは、それが自分にとっての魅力になるってわかっているからです。
もちろんそういった活動自体に意義も見出してますけど、ある意味そういう人に見られたいと計算してるんですね。

そういう計算高さを日本人はもうちょっと身に付けた方がいいです。
グローバルで見て、自分という人材がどういうふうに見られるのか。果たして自分のやっていること、先生の言っていること、親の言っていることは正しいのか?と考えないと。


- さっき東大に行くんだったらStanfordとかHaravardに行く方がいいって言ってましたけど、他のぜんぜん違うアメリカの大学に行くのはどう思いますか?

東大に行くよりはいいんじゃないですか?流石に程度はあると思いますけど・・・。
まあ例えばミネソタ大学に行ったとして、なんでミネソタ行ったの?って気になりますよね。

人が魅力を感じるのは、彼らが自分の知らないことを知っているだろうとか、自分の知らない経験をしているだろうとか、そういうところに価値を見出すからだと思います。
組織とか企業が強くなるのは、新しい人が自分の知らない何かを持ってくる時ですよね。
そういった意味で違う経験をしている事自体に価値があります。
中国の大学でも南米の大学でもいいと思います。


- 多様性ということですね。

そうです。
日本で多様性って言うと、ただ多様であればいいと思ってる人が多いですが、そういうことではありません。
何かショックがあった時、会社が傾いた時とかに多様性が初めて力を発揮するんです。
全員同じような人だったら、危機や変化に対応しづらいですからね。
1年間どこかの大学でMBAとるだけ、とかは多いですよね。


- mikanとしても、できれば学部留学などをどんどんオススメしたいと思っています。

ちなみにアメリカ留学で言えば、学部(合格率1%前後)>>PhD(2~3%)>>>>MBA、マスター(15~20%)の順に難しいんです。
MBAとかはかなり入りやすいですよ。数増やせばいいってもんじゃないので、mikanではぜひしっかりと学部留学できるような骨のある人材を育ててください。





高校生へのメッセージ:「10年後の未来から逆算せよ」


- 最後に日本の高校生にメッセージを。

10年後の世界、自分のことを考えて、きちんと人生をデザインすることが必要。
どういう自分になってたいのか、自分をしっかりデザインして、それに基づいていろいろなことを決定していってください。


- ちなみにそれのコツみたいなことってあったりしますか?高校生が考えて見る時の。

ひとつ、高校生に言ってるのは「考える時間を取る」ということです。
たとえば日曜日一日何も予定を入れずに、「自分がなにを本当にやりたいのか」、「10年後自分がなにをやっていたいのか」ってことを考えたるべきです。
1年に1回でも、5年に一回でも、10年に1回でもいい。考えたことない人がほとんどだから、これを考えたほうがいい。時間とって考えれば、世界がどうなるかはわからなくても自分のことは少しはわかります。
少なくとも、こういうことをやりたい、ってのはわかるはずですからね。

受験戦争の波に流されずに頑張ってください!




~編集後記~

「自分がなにを本当にやりたいのか」、「10年後自分がなにをやっていたいのか」なんて高校生の時にしっかり時間をとって考えたことがありませんでした。
mikanを使っている高校生にも、是非こういったことを考える時間をとってほしいです。

受験勉強のためのアプリで終わりたくないと思いました!

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地方公立高校から、いきなりアメリカの大学に進学した理由

 

帰国子女でもなく、幼稚園から高校まで秋田の公立学校で勉強していたにもかかわらず、いきなりカリフォルニア州立大学(CSU)に進学したという尾形さん。留学の方法を知っている先生や先輩も見つからない中、どうやってアメリカに留学したのでしょうか。なぜアメリカへの留学を決意したのでしょうか。将来はどんな夢を持っているのでしょうか。気になるすべてをインタビューしてきました。

 

 

高二の夏に参加したプログラムが留学を目指すきっかけに

- これまでの経歴を教えて下さい

秋田出身なんですけど、ほんとにもう幼稚園から高校までずっと秋田で、普通高校に通っていました。
普通の公立で育って来ましたし、アメリカ大好きとか、将来は英語を使った仕事を使用とかは別に考えていませんでした。

転機は高校二年生の時です。保険会社のAIUが主催している日米交流プログラムに応募してみたら、たまたま受かっちゃったんです。
プログラムの概要としては日本人の高校生40人をアメリカに送っていろいろな体験をさせ、逆にアメリカ人の高校生40人を日本に送っていろいろな体験をさせるというものでした。
3週間だったんですけど、WashingtonDC NewYorkとかいろいろなところを回りました。

その経験の中でも一番大きかったのはPrinceton大学に1週間いたことです。
寮で共同生活をしながら文化的な交流をしたり、経済とかについての真面目な話をしたり、簡単なディベートとかもしました。


 

「意外にアメリカでもやれるじゃん」という感覚


- 英語でですか?

英語です。学校でも英語の成績は良かったので特に困ることはなかったです。


- そのときが英語圏は初めてですか?

初めてです。そもそも初めて海外に行きました。
僕は結構暗記型で、単語覚えるのが得意でした。とりあえず英単語を覚えていたので適当に組み合わせることでなんとかなりました(笑)

もちろん深いところはなかなか難しいけど、ゆっくり考えて組み立てて喋ればなんとかなりました。
ロジカルにしゃべる傾向があるアメリカ人と、大人な会話というか論理的な会話ができたということが初めての経験ですごく面白かったです。

そんなわけで高校二年生の夏休みが終わりまして。
高2の夏というと先生と進路について話しあう時期で、僕は東京外語大を第一志望にしようと思ってやっていました。
でもプログラムを経験して帰ってきたら、アメリカで勉強したほうが有意義かもしれないと思い始めました。
アメリカで経験した大きいことを何かに繋げられたらなと。
それでアメリカの大学に行こうと決心しました。何を勉強するかというのはまだ決まってませんでしたけどね。


- その時にアメリカに行きたいという気持ちが湧いたんですね。
 

湧きました。基本的に日本の普通の公立の教育しか受けていないので、その時英語四年目でしたが、ちゃんと自分の英語が通用するんだとわかりました。
みんな日本の英語教育は良くないって言うけれど、ちゃんと勉強すれば何も困ることはなくてコミュニケーションはゆっくり話して考えながら喋ればできるんだということをアメリカに行ってからわかったことです。

もしあの時アメリカに行かなかったらそのまま就活をして最終的には英語と関係ない生活を送っていたんじゃないかと思います。

 

- 専攻と大学は何を選んだんですか?

大学で何を勉強するかって言ったら自分の好きなことをやろうと思いました。中学2年生の時からずっと好きだった写真、映像系を専攻しようと。
そのあとでいろいろ調べて場所はサンフランシスコ州立大学に決めました。


 

TOEFLは1発で合格
 

- 受験のアプライはいつ頃しましたか?

僕の場合、サンフランシスコ州立大学の映画科は人気の大学なのでapplicationの申し込み自体も早くなっていたので、高校3年生の10月末までに必要な書類を集めて提出しました。

必要だったのは以下の3つです。記憶が曖昧なのですが、推薦状は1枚か2枚必要だったと思います。ミニエッセイも書きました。アメリカの公立大学なので、StanfordやHarvardとかと違って簡単に入れましたね。

◯高校の卒業証明書(見込み)
◯校長か教頭の推薦書
◯エッセイ
◯TOEFL



- 推薦状とかって、ぱっと書いてもらえましたか?

僕は普通科だったんですが、高校の英語科の先生と仲が良くて。その先生に教頭の手紙を英訳してもらったりしました。

 

- 教頭先生には日本語で書いてもらったんですね。

はい。それを英語科の先生に訳してもらいました。

 

- 準備し始めたのはいつごろだったんですか?

高校3年の始まる前には日本の大学はもう受験しないと決めていたので、4月か5月くらいから準備を開始しました。日本の大学を受けないと言ったら担任には「お前頭おかしくなったのか?」と言われたけど、「まあ、僕のことですから好きにさせてください。」と言い切りました(笑)。


- TOEFLは何点くらい必要だったんですか?

iBTスコアで60点が必要なラインでしたが、高校3年生の8月くらいに一回だけ受けてその時に65点取れました。
大学によっても変わるし、州立大学とかじゃなくて普通にアメリカの大学に行こうとしたら80は必要ですし、もっととったほうが良かったなとは思いますが。
でも、とにかく必要な点数は1発で取れました。



留学はとにかく情報が少ない。


- 準備をしている時に大変だったことは?

ひとつは情報が少ないこと。自分で探さないといけません。
でもネットで調べていると情報が古かったりとか、本当に正しいのかわからないので手探り状態。
高校の先生もわからないし、うちの高校から過去にアメリカ留学した卒業生もいないので全然わからない。

でも、東京に留学予備校があったのを知って、そこの週末クラスみたいなところをオンラインで受講したのっでなんとかなりました。エッセイの書き方とかも、留学予備校から情報をもらって手続きとかも進めていった。


- 何処の留学予備校に通っていたんですか?

ヒューマンアカデミーという留学学校でした。東京と大阪にあります。
結構エッセイの書き方とか教えてもらえたので今でも役立っているし、入学手続きとかの情報も正しいものがもらえたで良かったです。高かったですけど。


- 留学予備校っていくらくらいなんですか?

1年で60万円くらいでした。留学の準備開始した4月から翌年の4月くらいまでで。


- どうやってサンフランシスコ州立大学という学校を選んだ?
予備校が押してきた & 自分で調べても映画で有名だったというのと半々ですね。サンフランシスコは都会だから面白そうでしたし。
まあ留学予備校としては入りやすいところを勧めてくるんですよ。
実は、サンフランシスコ州立大学はアメリカでもっとも留学生が多い大学なんです。日本人も常時100人以上います。



州立大学は書類さえ用意できればいける
 

- なるほど〜。知ったきっかけは予備校だったんですね。一校だけしか受けられなかったんですか?

そうです。アプリケーションは複数出せるんですが、9月の頭の時点で結果が出てTOEFLが取れていたので、SAT(アメリカ版センター試験のようなもの)を受ける必要がなかったんです。
リクワイアーメント(必要事項)を満たしているので合格は確定って感じでした。
 

- エッセイとかも出す前の段階で合格確定って感じだったんですか?

もちろんよっぽど変なものを出すと落ちてしまうこともあるけど、リクワイアーメントとして必要なもの(書類やテストのスコア)がきちんとあれば問題なく行ける感じです。


- その前に大学と面接とか、なんらかのやり取りをしているわけではなくて?

はい。


- じゃあrequirementさえしっかり満たしていて、書類とかしっかり出せば受かる感じなんですか?

はい。サンフランシスコ州立大学は留学生の誘致に力を入れているのが理由だと思います。
当然StanfordやHarvardは無理だし、求められるrequirementは違ってきます。SATは必須だし。
サンフランシスコ州立大学は入るのが簡単っていうのはありました。


- あ、ところで海外大学は高校の成績が必要だったりしませんか?

まあ、高校の成績は良かったので問題ありませんでした。日本の大学に行けなかったから海外の大学に行ったとか思われたくなかったので、学校の勉強もちゃんとやりました。
しっかり留学の準備もして、4年生大学に入ってきっちり4年で卒業しようと思っていました。


Q- 力強いですね。

やることちゃんとやってないと親が怒るので(笑)。



留学してからはカルチャーショックの毎日


- あと1年間というところで、これまでの大学生活はどうでしたか?

毎年いろんな違うことがあって楽しかったです。


- 楽しかったエピソードは?

1年生はカルチャーショックの毎日でした。1年生で入学したら、大学の寮に入ったんですが、1部屋に2ベッドでルームメイトがゲイの人だったんです。ゲイだから嫌だったというわけではないんですが・・・

まず最初に部屋のルールを作ったんですね。お皿は自分で洗う、とかアタリマエのことです。
そのルールの中に、ガールフレンドを呼ぶときは事前にルームメイトに話そうというルールがありました。
でも、後で気づいてみたら彼の場合は連れてくるのがボーイフレンドなんですよ。
「だからルールは破ってない」と言い張って、僕が病気で寝てる時にも彼はボーイフレンドを連れ込んだりしていた。

僕の方も頑張って英語で怒るんですけど相手にされませんでした。結局彼はお皿も洗わないし、僕の食べ物も食べちゃうし。毎日が戦いでした。ひとによって違うと思うんですが、僕の場合は運が悪かったですね。
他の日本人の友達のルームメイトはみんないいやつでしたよ。話もわかるしお皿も洗うし。
そんな感じで最初の1年間は寮で過ごしました。


- それは色んな意味でショックでしたね。

まああれはあれで口論する力が身についたので良かったと思います。何事も経験かなと思っているので。いいことも悪いことも。

    


勉強は大変?

- 勉強の方はどんな感じでしたか?

大学によっても違いますけど、基本的に学位を取るには120単位が必要なんです。

まず入学すると英語のクラスと、基礎的なGE(General Education)のクラスが始まります。
GEというのは高校の復習みたいな感じで、アメリカの歴史とかScienceとか生物学とか科学とか物理とかをやります。
最初の2年間のうちにGEで60の単位が必要でした。後半の二年間でメジャー(専攻)のクラスの単位を60単位とります。
1年が2セメスター(学期)なので、だいたい1セメスターで15単位くらい取りますね。


- なるほど。

もし後輩にアドバイスするとしたら、実はメジャーのクラスは最初のうちにとっていると後が楽ということです。
メジャーのクラスには順番があったりするんです。そのため、1〜2年生のうちにメジャーのintroductionのクラスとかはとっておくと後々取れるクラスが多くなって楽になります。
逆に、そうしないと3年生になってまずはintroductionを必ず取らなければならず、取れる授業が限られてしまいます。
夏休みや冬休みにも授業が取れるので、1〜2年生のうちにそこを利用してGEの単位数を稼ぎつつ、メジャーのクラスintroductionとかもとっておくのがいいと思います。


- 夏休みとか冬休みにも取れるんですか?

そうですね。たくさんあるわけではないし、学部によっても違います。
入った時はそういうことが全然わからなくて、幸いな事にシネマは結構簡単に卒業できる学部のうちの一つなので今は困っていないですけど。
これから留学する人は注意した方がいいと思います。


- そういった情報って誰に教えてもらえばいいんですか?

基本的には日本人のアドバイザか、日本人の先輩ですね。

①日本人のアドバイザ
日本人のアドバイザが学校内にいて、彼が一般的な流れはだいたい教えてくれます。でもすべての学部の中でのアカデミックリクワイアメントとか学習計画の話は彼も知らないので、学部で確認する必要があります。そのため教授と早めに仲良くなって質問しとく必要があります。

②先輩
大学に日本人の先輩がやたらといるので、先輩に日本語で説明してもらうとすっごいわかりやすいです。そういう意味ではサンフランシスコ州立大学はすごくイージーだと思います。他の大学だったら全部英語で理解しないといけないから大変だと思います。


     


大学の外にも活動の輪を広げ、きゃりーぱみゅぱみゅさんの撮影にも参加


- 2年目以降はどんな生活をされていたのですか?

将来撮影の仕事を中心にやっていきたいと思っていたので、2年目からは、大学の外にも出てみました。現地のコミュニティやボランティア活動などです。1年生の終わりごろからはJapan Townという日本人のコミュニティに参加しています。毎年4月に桜まつりというイベントがあるのですが、これに写真撮影のボランティアとして参加しています。そういうのを自分からやるっていう人がいなかったので、スポンサー向けのビデオも作成しました。こういった活動を通して学生じゃないアメリカ人(日系だけど日本語はしゃべれない)と仕事として付き合う機会もあり、楽しかったです。あとはJPOPサミットというイベント。こちらも3年連続ボランティアをしています。この前はきゃりーぱみゅぱみゅさんも来たので、その撮影とかもしました。あとは、これが一番大きいと思いますが、スタートアップとか日本の新しい起業家の人がいっぱい来ているのでそういった方とお話させていただくことも多いです。こうやって動画や写真を撮ったり、実務的なことが経験できているというのはすごいことだなあと思います。サンフランシスコに来てよかったです。日本人もいっぱい居るから、最初は日本語だけになるかなと思ったけど、意外に英語でも頑張れるなって感じです。         


 

家賃は高すぎるので、今はオススメしない


- サンフランシスコほんといいですよね。好きです。

まあでも今はサンフランシスコおすすめしませんよ。


- え、そうなんですか!なんで?

家賃が高すぎるんです。
まともに日本とか東京とかでイメージしている金額では住めないですよ。

具体的な数字で行くと、

寮:家賃
1年目:$1260(光熱費込み、相部屋)
2年目:$1000(人の家の間借り)
3年目:$1200(1部屋)

って感じです。めちゃくちゃ高いです。ルームシェアしてるのに10〜15万円とかになります。


- 家賃って高いんですね・・・

やっぱり毎年家賃が上がってますね・・・。
特に、ルームシェアじゃなくて個室を借りるってなるとかなり高いです。

ただ英語が勉強したいとか曖昧な目標で来ると、ただ家賃が高いだけでめちゃくちゃ大変だと思います。
だからSFの家賃の高さを抜きにしても、SFで何か自分の経験が得られるような勉強をしたいという人はいいと思います。
SFでこれをやりたいっていうのがしっかりあればリターンも大きいと思います。


- 他になにかこっちで暮らしてみての感想ってありますか?

日本とぜんぜん違いますね〜。こっちのほうが僕は好きですけど。
あと、治安が良くないです。
良くないというか、ストリート一個挟んだだけでもぜんぜん違うんですよ。銃もあるし。

普通に暮らすんだったら日本のほうが安心安全って思うんですけど、それでもアメリカ、特にSFのほうがいろんな人種・人がいっぱいいて、楽しくやれるし、様々な問題を解決しながら生きていくのも醍醐味の一つだと思います。
 

- 今は大変なところを教えてくれたと思うんですけど、どんなところが好きですか?

日系のコミュニティに行くと、いろいろと還元してもらえるところです。
写真やビデオを撮ることで、いろんなプロジェクトに参加させていただきました。
日本の大学に進学してたら出来なかったと思います。こういうところで実務的なことが沢山経験できました。

今も少しインターンシップやっています。日本とアメリカはインターンの仕組みが違っていて、paid(有給の)インターンが多いです。
僕がインターンしているのは日系の会社ですけど。英語でのメールとか日本語でのメールとか実践的なことが学べてるなという感じがします。



卒業したら映像制作の仕事に就きたい


- これまで、高校の時と現在の話をお聞きしたので将来の話もお聞きします。卒業後もアメリカに残りたいと思いますか?

僕はそうしたいと思います。ですが、言うほど簡単ではないのかなとも思います。
というのも、ちゃんと4年間で卒業して就職して、それからは親の援助を受けないという約束で留学しているからです。
なので、もう一年いるとか、大学院に行くとかはうちのルールではないんです。

そのため、来年卒業したらどこかに就職しようと思っています。
第一志望としては映像の制作をアメリカでやりたいです。せっかくアメリカでの映像の作り方を勉強したので。
でも、アメリカの方で残るためには雇ってくれる会社を見つけないといけない。
OPTで、アメリカの会社で1年間インターンシップを出来るので、そこでまずは映像制作の会社で働きたいと思っています。
 

- paidのインターンができるので、そのまま就職したいというイメージですよね。

そうです。でも、生活のためだけに就職するようなことは良くないかなと思っています。
OPTを一年やったあと、その会社が「さよなら」と言って雇ってくれない場合もあります。結構多いらしいです。
でもそうなると日本の会社では新卒じゃなくなって、日本の会社で働く道が狭まります。

OPTをやる場合は将来的に自分が残って頑張れる、キャリアアップができると確信できなければいけないと思っています。
何でもいいからアメリカに残るというよりは、ボスキャリで内定しっかりもらって帰るほうがいいと思っています。
自分の整理もつくし、親にとっても安心してもらえるし。下手にアメリカに残るよりはそっちのほうがいいのかなと考えています。


- ちなみに、映像制作としてやりたいのはハリウッドとかですか?

いえ、映画というよりは広告の方をやりたいと考えています。制作会社でインターンしてから、会社を変えていろんなことをやっていきたいです。最終的にはフリーランスでやりたい。
OPTの段階で何でもいいから制作の会社に応募して働くみたいなことはしたくないですね。遊んでもいられないので。



日本の高校生へ一言
 

- 最後に日本の高校生に一言お願いします。

アメリカで挑戦したいって思ってるんだったら、日本人でも勉強次第で絶対に可能です。
日本人だから英語ダメとかは全く無くて、ちゃんとやればできます。

ただし、単純に海外行ってみたいからとかとりあえず行くというのは僕はおすすめしません。学費も高いので。
僕が来た時は1ドル80円の円高でしたが、一時130円になったので学費が全然変わっちゃいました。

僕の言ってるSF州立大学で、安いんですけど一学期に15単位とって$9000
てことは一年で$
18000です。
サンフランシスコ州立大学は一番安い大学ですが、それでもここまでかかるんです。

だから、とりあえず簡単な気持ちで来ちゃうっていうのは僕はあまりおすすめしません。
ちゃんとした目標を持って勉強する、将来のプランをちゃんと考えて家族のサポートも得ながら留学するのが大事です。
憧れだけじゃ何にもできない。自分がどう行動するのか、現状を確認して最終的に決断するというのが一番大事です。



〜編集後記〜

サンフランシスコは留学しやすく、学習する環境としてはとても良いと感じた一方、学費や家賃がとても高いことにも驚きました。
大学に通う間に学費だけで1000万円くらいかかり、生活費も入れたら2000万円くらいかかってしまいます。

学費などのコストがとても高いこともあってか、緒方さんも含め、アメリカの学生はとても将来設計にシビアです。
極端な話、大学に払った以上に、卒業したらその分高い給料を稼いで元を取れるのか、ということをとてもシビアに計算しているなあと感じました。

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大会二連覇達成!暁高校はなぜ全国の高校をおさえて優勝できたのか?-暁高校6名へのインタビュー-

決勝最終日の追い上げで見事な逆転劇を演じ、選手権二連覇を果たした暁高校。

 

 

なぜ地方の一高校が、首都圏や関西の名門校を抑えて二度も優勝できたのか?


どうしてこれほど多くの生徒が1ヶ月以上もモチベーションを維持できたのか?


その秘密を探るべく、暁高校での表彰式の後、mikan大使であるりたろうさんと、中心メンバーとして暁高校の優勝に大きく貢献したごとじゅんさん・ななみさん・なかのさん・ふみなさん・こばやしさんに、mikanメンバーのひろしがいろいろ聞いてみました!

 

 

 

第一回大会の経験が大きな助けになった

 

 

ひろし:優勝おめでとうございますー!集まってくれてありがとうございます。

二連覇は本当にすごいですね・・・!

第一回が7月に終わって、9月後半に第二回についての告知がなされましたが、どういう感じでしたか?待ってました?

 

ごとじゅんさん:待ってました。

 

なかのさん:案外早く来たなーって感じでした。

 

 

 

 

ごとじゅんさん:甲子園とか高校生クイズみたいに「今年も熱いmikanの夏がやってきた!」って感じなのかと思ってたので、思ったよりすぐに来たなって感じでした。


 

ひろし:予選の個々人のスコアを見ると3,100ptの人がけっこういて(1日100ptが上限)、初日から一度も欠かさずやってた人がこんなにいるんだってかなりびっくりしたんですよね。

スタートダッシュがかなりうまく行ったのかなという気がするのですが、実際はどういう感じだったんですか?

 

なかのさん:僕は一ヶ月ぜんぶやりました。9月中旬から少しずつ「第二回が開催されるらしい」ってことが分かってきたので、「始まるらしいで~」という話は少しずつ広めてました。

 

りたろうさん:校内ランキングがすごくよかったですね。順位が出るとかなりモチベーションが上がりますし、特に校内の人には絶対負けたくないって感じました。

 

ひ:前回はなかったですもんね

 

ななみさん:あれがあると、みんなどれぐらいやってるかとか自分が校内でどの辺の位置にいるかとかが分かるんで、友達もやってるし自分もやんなきゃなー!って感じました。

 

ひ:第二回、スタートからやってた人ってどのぐらいいるんですか?

 

り:最初からけっこう多くの人がやってたと思います。最初からいきなり全国3~4位に入れました。

 

 

 

 

ご:やっぱり前回賞金を受け取った人たちが先頭を切って始めて、校内でも賞金の話は知れ渡っていることなので続々プレイヤーが増えていきました。

 

ひ:予選は自信ありましたか?

上位のの学校に比べるとけっこう人数が少なかったようですが・・・

 

り:人数は確かに少なかったです。なので実際予選は優勝できませんでした・・・

ですがアクティブなプレイヤーの人数なら負けないと思ってたので、少数精鋭で勝ちに行く意識でやっていました。

 

なか:一人あたりの得点数ならたぶん一位じゃないかな・・・とは思ってました。

開成高校は前回も上位にいましたが、横浜翠嵐高校や清風南海高校・藤島高校は新勢力で非常に人数が多かったので、人数の少ない暁が上位に食い込むには1人あたりのポイントが非常に多い必要があったと思います。


 

詳細な分析が、勝利を引き寄せた

 

ひ:なるほど・・・。

暁は今回もチラシというか、丁寧に分析された作戦シートみたいなのが貼られてましたよね。

あれは誰がどのタイミングで作ったんですか?

 

 

 

り:第二回はこばが作ってくれて、張ってくれました。

第一回はごとじゅんが・・・

 

ご:俺の父さんが変わり者で、第一回は俺よりも英単語選手権に真剣になったらしくて、「こういうの作ったらええ」って言ってエクセルのシートを出してきたんですよね。

前日比のポイント数でランキングを付けて、暁より上の高校を30番ぐらいからどんどん抜いてって22番で景品をもらうって作戦を立てました。
毎朝9時にランキング画面をスクリーンショットで撮って、エクセルに記録して、前日比を算出して分析したりしました。

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こ:今回は学校内で個人のポイントがどんな分布になってるか数えて、ルールと照らし合わせて攻略法を考えました。

それから、毎朝他棟の高1の教室まで行って、今朝のランキングを黒板に書きました。

 

未崎先生:そういえば、毎朝小林がD棟まで行って何かしてるって職員室で話題になってたわ。

 

 

 

 

ひ:毎朝行ってたってすごいですね・・・!

 

 

帰りの電車で横一列みんなmikanやってた時もあった

 

ひ:学校では携帯禁止で、修学旅行で北海道に行っていた時期もあったと聞いたんですが、どうやってmikanを進めてたんですか?

 

 

 

なな:修学旅行のときもmikanやってました。バス内でも選手権の作戦を話し合ってたり、部屋でも黙々とmikanのノルマをこなしてました。

学校ではスマホを使えないため、mikanは登下校のときにやってます。学校の最寄り駅に止まる満員の電車の中で、横一列に立ってた暁高校生が全員mikanをやってるのを見たこともあります。

 

ひ:それはすごい光景ですね・・・

 

り:特に決勝は、全国ランキングで100位以内に入りたいってモチベーションがかなり強かったです。
センターの範囲から多くが出ると思っていたのでセンター範囲を完璧にして決勝に臨みましたが、受験単語2500語が非常に難しくて焦りました。

 

ご:俺はテストで覚える派だったんで1,200回受験しました。

 

ひ:1,200回!?

 

ひ:こばやしくんもかなりやってましたよね?

 

こ:僕はその半分しかやってないです・・・

 

ひ:600回でも相当すごいと思いますけどね・・・

 

り:でもやっぱり、学習効率を考えると、テストで覚えるより学習モードでめくり学習するほうがいいですよ。

僕は学習モードでめちゃくちゃ対策しました。

 

ご:俺も最初から学習モードでやっとけばよかったって後悔してます・・・

でも、テストとランキングはすごくモチベーション上がります。そっちのほうが楽しかったです。

 

 

古文版mikanを作ってほしい

 

 

ひ:最後に、今後mikanに作って欲しいものややってほしいことはありますか?

 

一同:古文単語・・・

り:古文単語ですね

ご:古文単語欲しいです

 

 

 

なな:英語はまだこの先使うし、海外の人と話せるようになるしっていうモチベーションがありますけど、古文は全く・・・

 

なか:古文単語は100単語覚えるのも大変なんで、ぜひ作って欲しいです・・・

mikan古文単語版、お願いします。

 

うさみ:はい!作る方向で頑張ります笑

 

ひ:以上です!今日は本当にありがとうございましたー!

 

 

 

インタビュー後記

一時間弱にわたる長いインタビューでしたが、とにかく生徒同士の仲がいいことと、勝利に向けた徹底的な分析が印象的でした。

100万円獲得を目指していたことも間違いありませんが、それだけでなく「あの有名高校を倒して日本一になりたい」「みんなで目指すのが楽しい」など、いろんな理由があったという話にも非常に驚きました。
詳細な分析やその配布など、勝利のために必要なことはすべてやる徹底ぶりと、最後まで「みんなやってるからmikanやらなきゃ」の空気を作りつづけられたことが、二連覇の理由なのかもしれません。

最後に、表彰式後わざわざ残って長いインタビューに答えてくれた暁高校の6名、本当にありがとうございました!!

 

 

 

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